オーバードーズ(略してOD)
今、市販薬でODする若者が増えている、
この前もそんなニュースを見た。 私の10代の頃も
ODしていた。
私は通院していたから
市販薬ではなかったけど。
大量の精神安定剤、睡眠薬。
多い時で100錠は飲んで
自分の意識を飛ばしていたと思う。
苦しくて吐いて
救急車で運ばれて
胃洗浄なんてことも何度か経験した。
死にたくてやることが多かったけど、
言葉を変えると
もう何も考えたくない
この苦しみから逃れたい
ということだったと思う。
もう何も考えたくない
この苦しみから逃れたい
その方法が
当時の私には、
死ぬことしかなかったんだなぁと思う。
もう一つ死ぬ目的ではない
簡単なODもした。
何十錠、運ばれないほどの錠剤を飲んで
何日か昏睡状態に陥るというもの。
これも苦しくて
今の状況から逃れたい
何も考えたくない
楽になりたいという目的だった。
どちらにしても
何も考えたくない
この苦しい状況から逃れたい
ということだったんだけど、
人の思考は
自分の想いを行動に移すときや
形にしたいときに
どうしたらいいのか?
考えるものだけど、
苦しい時の止まらない思考は
感情を感じることが怖いから
そこを麻痺させるために考えるという思考
苦しい時は
だいたいこの思考を使っていて
それを使うのは
そこに“恐怖”という爆弾を抱えているから。
本当は感じてしまう方が良いんだけど、
そんな簡単にはいかないもの。
恐怖という爆弾に触れるのも怖い
触れないために
思考をぐるぐるさせるのも苦しい
それももう限界、生き苦しい
そんな時に私は
ODをしていたんだと思う
いろんなこと振り返ると
わたしはずっと
自分を責めてたんだなってことがわかる。
死ぬことしか選択肢がなくて
ODしていた私が
死なずに今、生きているのは
苦しむこと
死ぬことではない
違う選択肢を
自分から見つけに行ったから
違う選択肢を選択して
生きてる人たちに会いにいったら
生き延びるための方法が
選択肢がたくさんあった。
それを採用し続けた。
ODではなく
少しずつ
それを選択した私は
今、ODをしないで
自分を表現すること
自分らしく生きること
自分が体感して学んだことを伝えたい
そんなことを考えて生きている。
ODすること、死ぬこと以外の
選択肢があること
それを知っていいし
つかみに行っていいし
選んでいい。